詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
★大国/樋口 実頼(おおくに/ひぐち さねより)
基本情報
- 生没:1562~1622(病死)(61歳)
- 所在:春日山城→会津
- 主家:上杉謙信→上杉景勝
- 親交:直江兼続(兄)、樋口兼豊(父)、本多政重(義子)
- 嫌悪:―
- 野望:低~中
- 主義:保守
能力
- 統率:71
- 武勇:44
- 知略:72
- 政務:70
特性
- 戦法:治療(支援系)
- 特性:普請(築城系)、能弁(交渉系)、
- 苦手:―
人物概要
直江兼続の弟。上杉家家臣として外交の使者や普請奉行関係を主に担い活躍した。
その他情報・逸話
- 永禄5年(1562年)、樋口兼豊の次男として誕生。
- 上杉謙信死後の御館の乱では上杉景勝方として戦う。
- 天正10年(1582年)、景勝の命により天神山城主小国重頼の養子となって小国氏の家督を相続。
- 天正14年(1586年)、新発田重家討伐戦に参加し、新潟城を焼打ちする。
- 。豊臣秀吉の聚楽第新築の際には祝賀の使者を務めた。このとき、姓を大国と改めた。以後、頻繁に上洛し、連歌会に多く参加した。
- 天正19年(1591年)には連歌師里村紹巴の催す連歌会に度々参加し、実頼は「能書、連歌の上手」と評されている。
- 文禄3年(1594年)、村上城主として9,041石を知行し、542人の軍役を課せられている。
- なお実頼自身はこの時期に伏見の上杉屋敷に滞在し、村上城に春日元忠を城代として置いていた。
- 慶長3年(1598年)、上杉景勝の会津移封に付き従い、南山城代として2万1,000石を与えられた。
- 慶長5年(1600年)に景勝が徳川家康との戦に備えて会津に神指城を築城しようとしたとき、兄・兼続と共に普請奉行を務めて功を挙げている。
- 同年の関ヶ原の戦い後、出羽国高畠城7,000石の城代となったが、城には移らず上洛して伏見に滞留した。
- 慶長9年(1604年)、兄・兼続と本多政重との養子縁組に反対したばかりか、政重を迎えるために上洛した使者、長刀を振るって殺害すると、そのまま出奔して高野山へ逃れた。
- 元和8年(1622年)に死去。享年61。
- 娘は実頼出奔後、兄・兼続が預かり、慶長14年(1609年)に兼続の養女として本多政重に嫁いだ。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 直江兼続(兄):統85.武75.知86.政94
- 樋口兼豊(父):統74.武59.知76.政74
- 本多政重(義子):統36.武65.知66.政53
- 春日元忠:統33.武38.知59.政77
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