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★阿部忠秋(あべ ただあき)

徳川家

詳しい情報は下に記載してます!

本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。

是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!

特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。

★阿部忠秋(あべ ただあき)

基本情報

  • 生没:1602~1675 (73歳)
  • 所在:江戸城
  • 主家:徳川家
  • 親交:阿部正勝(祖父)阿部忠吉(父)、阿部正次(叔父)
  • 嫌悪:―
  • 野望:中
  • 主義:保守

能力

  • 統率:20
  • 武勇:12
  • 知略:81
  • 政務:87

特性

  • 戦法:回復・支援系
  • 特性:内政系、普請、交渉、一所懸命
  • 苦手:―

人物概要

徳川家老中。内政面の才能を高く評価され、徳川幕府の政治を安定させることに大きく貢献した。

その他情報・逸話

  • 徳川家光・家綱の2代にわたって老中を務めた。
  • 阿部忠吉(阿部正勝の次男)の次男
  • 寛永3年(1626年)に徳川秀忠の偏諱を拝領し、忠秋と名乗った。
  • 慶安の変が起こった際、他の老中らは、江戸から浪人を追放することを提案し、ただ一人忠秋のみは、江戸に浪人が集まるのは仕事を求めるゆえであって、江戸から浪人を放逐したところで根本的な問題の解決にはならないと、性急な提案に真っ向から反対し、理にかなった忠秋の言い分が最終的には通った。
  • 寛永元年(1624年)、父の遺領6000石を継ぐ。
  • 松平信綱と友に僧侶の説得に言った際、僧侶は知恵伊豆様(信綱)より豊後様(忠秋)の方が上手ですね(知恵がある)と笑いながら阿部忠秋の方の説得を受け入れたと言う。
  • 同3年(1626年)加増され、1万石の大名となる。
  • 同6年(1629年)、5000石加増。同10年(1633年)、小姓組番頭から六人衆(後の若年寄)に転じ、さらに5月5日より老中格に任じられる。
  • 同11年(1671年)隠居。延宝3年(1676年)に死去した。
  • 後に「(酒井忠勝・松平信綱などは)みな政治家の器にあらず、政治家の風あるは、独り忠秋のみありき」と高く評価された。
  • 鋭敏で才知に富んだ松平信綱に対し、忠秋は剛毅木訥な人柄であり、信綱とは互いに欠点を指摘、補助しあって幕府の盤石化に尽力し、まだ戦国の遺風が残る中、幕政を安定させることに貢献した。
  • 忠秋は「細川頼之以来の執権」と評せられ、責任感が強く、また、捨て子を何人も拾って育て、優秀な奉公人に育て上げた。子供の遊ぶ様子を見るのが、忠秋の楽しみであった。

参考値

紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。

数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。

  • 徳川秀忠:統38.武35.知70.政85
  • 徳川家光:統56.武65.知74.政79
  • 酒井忠勝:統38.武37.知64.政75
  • 松平信綱:統85.武68.知89.政92
  • 阿部正次:統47.武63.知62.政79

参考資料

阿部忠秋(Wikipedia)

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