詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
★渥美 勝吉(あつみ かつよし)
基本情報
- 生没:1557~1616(病死) (59歳)
- 所在:遠江(静岡県)
- 主家:徳川家
- 親交:青木一重(従兄弟)
- 嫌悪:―
- 野望:中
- 主義:中道
能力
- 統率:22
- 武勇:81
- 知略:38
- 政務:18
特性
- 戦法:急襲
- 特性:槍術、攻勢
- 苦手:―
人物概要
徳川家家臣。「頸切り源吾」の異名をもつほど武勇に長けた武将。槍が折れても素手で奮闘した。
その他情報・逸話
- 武勇で知られ、姉川の戦いでは槍が折れたのちも素手で奮戦し、さらに数人を討取った。
- 「徳川殿は良い人持ちよ 服部半蔵は鬼半蔵 渡辺半蔵は槍半蔵 渥美源吾は頸切り源吾」と唄われた次代の源五郎(源吾郎)・渥美勝吉は、若き頃より武功者として知られ、槍の達人であり、数々の武功から「頸切り源吾」「首獲り源五」という異名で知られた。
- 遠江国横須賀城主・大須賀康高の与力として徳川家の旗本先手役を務めた。
- 天正2年(1574年)、高天神城に武田勝頼が攻め寄せた、18歳の勝吉ら徳川勢は、守将の小笠原信興らと2ヶ月間籠城するが、援軍もなく激戦の末に開城した。
- 勝頼は徳川に帰還を希望する将兵は寛大にこれを許した。この中に勝吉も含まれる。
- 天正6年(1578年)に武田方に落ちた高天神城の抑えとして、家康は横須賀城を築城し、勝吉ら高天神城からの帰還組を配属した。
- 坂部広勝や久世広宣、竹田右衛門などと並び「横須賀七人衆」に数えられ、大須賀勢として各地を転戦した。
- 天正6年(1578年)、高天神城の様子を窺うために勝吉が斥候に出されたが、同じく斥候として巡回していた武田方の騎馬兵を含めた20余名と遭遇戦となった。この際、勝吉が出合い頭に騎兵2人と徒歩4人を瞬殺したとされ、高天神城近くに「首切り坂」という古跡が残っている。
- 天正6年(1578年)の武田との戦いでは一番首を挙げる活躍をした。
- 天正7年(1579年)の武田との戦いで、この時も「横須賀七人衆」は首級五十七を取り、家康から賞賛されている。
- 天正9年(1581年)、岡部元信と共に高天神城を攻め、横須賀七人衆の同輩久世広宣は打ち合う剣の火花で敵味方の顔を区別した、と伝わる。この後も大須賀康高と横須賀七人衆は、徳川麾下の勇猛な精鋭部隊として、各地の戦いに参戦している。
- 天正19年(1591年)上総国久留里城に転封
- 元和2年(1616年)、横須賀にて病死した。60歳
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 青木一重 :統60.武57.知47.政48
- 大須賀忠政:統62.武51.知57.政77
- 岡部元信 :統76.武78.知83.政43
- 武田勝頼 :統86.武88.知71.政56
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