詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
★曽根昌世(そね まさただ)
基本情報
- 生没:1520?~1600?(病死?)(81歳?)
- 所在:躑躅ヶ崎館(甲斐)
- 主家:武田信玄→勝頼→徳川家康
- 親交:曽根虎盛(子)※ ※おすすめ登録武将で紹介している武将
- 嫌悪:-
- 野望:低~中
- 主義:保守
能力
- 統率:76
- 武勇:71
- 知略:73
- 政務:55
特性
- 戦法:威圧(妨害系)
- 特性:自衛(殿軍)、牢固(防衛系)、用兵(軍略系)
- 苦手:-
人物概要
武田家組頭。武田信玄の側近中の側近である奥近習六人衆の一人。武田信玄から直接兵法を学び各地の武田家の戦で活躍した。
その他情報・逸話
- 武田家奥近習六人衆(武田信玄の側近中の側近で幹部候補となる武将)の一人。武田二十四将の1人に数えられることもある。
- 武田信玄から軍学や築城術などを直接学んでいたと言われており、これらの技能に精通していた
- 信玄の奥近習衆を経て足軽大将となり、騎馬15騎・足軽30人を与えられた。
- 相模の北条氏康との三増峠の戦いでは、退却する武田軍の殿軍を務めて、北条綱成軍からの撤退を見事に成功させている。
- 駿河侵攻に際して同じく六人衆の真田昌幸らと共に活躍
- 信玄からは、昌世と昌幸は「信玄の両眼の如き者ども」と信任されていた
- 駿河花沢城攻めでは三枝昌貞に次いで2番槍を勝ち取った
- 信玄が駿河を奪った後、昌世は駿河興国寺城代を任された
- 元亀元年(1570年)、伊豆韮山城攻めでも武功を挙げている。
- 信玄没後は勝頼に仕え、天正3年(1575年)の長篠の戦いにも参加
- 天正10年(1582年)、武田勝頼が織田信長・徳川家康の連合軍に攻められて滅亡すると、徳川氏に仕えた
- 同年6月の本能寺の変による織田信長の死後、徳川家康は甲斐へ侵攻したが、昌世もこれに参加し活躍
- またこのとき武田家旧臣を徳川家に取り込み、北条家との戦いに大きく貢献した
- この活躍が認められ興国寺城城主となる
- その後出奔し、天正18年(1590年)蒲生氏郷に仕える
- 天正19年(1591年)、同じ旧武田家臣の真田信尹らとともに九戸攻めの蒲生軍の一角として出陣
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 武田信玄:統100.武89.知96.政95
- 北条綱成:統91.武96.知84.政61
- 三枝昌貞:統79.武70.知68.政61
参考資料
その他の武田家おすすめ登録武将
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