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★丹羽 氏次(にわ うじつぐ)

織田家

詳しい情報は下に記載してます!

本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。

是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!

★丹羽 氏次(にわ うじつぐ)

基本情報

  • 生没:1550~1601
  • 所在:尾張→甲府→伊勢→尾張
  • 主家:織田信長→信忠→信雄→徳川家康→信雄→豊臣秀次→家康
  • 親交:―
  • 嫌悪:―
  • 野心:低~中
  • 主義:中道

能力

  • 統率:62
  • 武勇:68
  • 知略:62
  • 政務:57

特徴

  • 得意:防御、普請、槍術
  • 苦手:―

人物概要

織田家及び徳川家の家臣。関ヶ原の戦いでは美濃の岩崎城の防御を務めた。

その他情報・逸話

1582年織田信忠の甲州征伐では木曽義昌・織田有楽斎に従って武田家へ攻め入った。

1583年本能寺の変後は織田信雄に仕えて各地で武功を挙げるも信雄と対立し徳川家康の家臣となる。

1584年小牧長久手の戦いでは岩崎城を弟・氏重に守らせ、自身は小牧に赴いて武功を挙げる。しかし、氏重は池田恒興と森長可の猛攻を受けて討死する。

1590年家康に引き続き仕えようとするも、秀吉の命により豊臣秀次に仕えることとなる。そのため長男を家康に仕えさせることとした。

1600年関ヶ原の戦いでは東軍に属し、尾張と三河を結ぶ重要拠点である岩崎城の守備固めを務める。また西軍の田丸直昌軍の攻撃に備えるため妻木頼忠に防備強化工事のための大工を100名送った。その後関ヶ原の戦い本戦での功もあり三河国伊保に1万石を与えられ初代藩主となった。

所有していた槍で敵を突き刺した際に、敵の鎧を貫き背後の岩壁まで達したため、氏次の槍は「岩突槍」と称された。

参考値

紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。

数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。

参考資料

丹羽氏次(Wikipedia)

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