詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
★松平家忠(まつだいら いえただ)
基本情報
- 生没:1555~1600(討死)(46歳)
- 所在:岡崎城(三河)
- 主家:徳川家
- 親交:松平忠利(子)、松平伊忠(父)
- 嫌悪:―
- 野望:低
- 主義:中道
能力
- 統率:48
- 武勇:42
- 知略:66
- 政務:72
特性
- 戦法:回復
- 特性:作事(普請系)、修繕(普請系)
- 苦手:-
人物概要
徳川家組頭。徳川家の分家に当たる。各地の戦に従軍するが、城郭の普請や補修の技能に優れていたとされている。家忠の日記は現在も貴重な資料として残っている。
その他情報・逸話
- 弘治元年(1555年)、三河で誕生。
- 家忠が元服した頃は、本家である徳川家康に服属し、家康の家臣酒井忠次(吉田城代)の指揮下にあった。
- 天正3年(1575年)、長篠の戦いには父と共に従軍、ここで父が戦死したため21歳で家督を引き継いだ。
- 家忠は各地の合戦に従軍するが、合戦そのものよりも城郭の普請や補修などに従事しており、土木に技能を持っていた。
- 天正18年(1590年)、家康が関東に移封されると、武蔵国に1万石を与えられ、忍城を本拠とした。
- 慶長5年(1600年)、家康の命で鳥居元忠、内藤家長らと共に伏見城の守備に残り、石田三成ら西軍の挙兵を誘った。
- 目論見どおりに三成は挙兵したが、家忠らは関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いで戦死し、城は落ちた。享年46。
- 家忠が残した日記が現在も残っており、当時の文化や生活を知る上で重要な資料として取り扱われている。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 徳川家康 :統99.武87.知90.政98
- 松平忠利 :統67.武49.知48.政65
- 石田三成 :統70.武61.知77.政98
参考資料
その他の徳川家おすすめ登録武将
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成するのにおすすめの戦国武将を紹介しています。ぜひこのサイトで紹介している登録武将を信長の野望で作成してからゲームをプレイしてみてください!
コメント