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★押川 公近(おしかわ きみちか)

島津家

詳しい情報は下に記載してます!

本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。

是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!

特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。

★押川 公近(おしかわ きみちか)

基本情報

  • 生没:1571~1629
  • 所在:薩摩
  • 主家: 島津家
  • 親交:―
  • 嫌悪:―
  • 野心:低
  • 主義:中道

能力

  • 統率:18
  • 武勇:88
  • 知略:23
  • 政務:6

特徴

  • 戦法:妨害系
  • 得意:水軍、砲術、偵察、暗殺、殿軍
  • 苦手:―

人物概要

島津家の家臣。幼少より武芸に達者で島津一の剛の者とも呼ばれていた。一生の間に160名以上の敵を打ち取るなどの逸話を数多く残す。

その他情報・逸話

  • 1571年誕生。幼少期より力強く、水練に達者で、鉄砲も上手であった。
  • 1564年父とともに島津義弘に従い、国境の守番として配属される。
  • 1598年朝鮮出兵に従軍。明軍10万が攻め寄せてきた際に物見として状況を偵察し、四川の戦いでも活躍し、多数の敵を討ち果たした。
  • 1600年の関ヶ原の戦いにおいては、主に物見として敵情を調べた。伏見城の戦いでは城に忍び込み、敵が寝入っていることを確認し夜討ちを義弘に進言した。
  • その後も物見として活躍し、敵を見つけた際は川を泳ぎ騎馬武者の馬を奪い大垣城の石田三成に情報を知らせた。
  • 1600年の関ヶ原の戦い後に、井伊直政の追撃を防ぎ義弘の退却を成功させ、「小返しの五本鑓」に数えられた。退却の途中で本隊とはぐれ、帰路の途中で大脇差を刺した男の脇差を奪いその武将を打ち取った。
  • 1610年謀反の疑いのあった島津家家臣を鉄砲で暗殺。
  • 一生の間に160人以上打ち取り切り捨ては数知れずと記録されるほどの剛の者であった。

参考値

紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。

数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。

  • 井伊直政:統87.武92.知83.政81

参考資料

押川公近(Wikipedia)

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