Google

★川上 忠兄(かわかみ ただえ)

島津家

詳しい情報は下に記載してます!

本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。

是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!

特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。

★川上 忠兄(かわかみ ただえ)

基本情報

  • 生没:1561~1622
  • 所在:薩摩
  • 主家:島津家
  • 親交:忠智(父)、久智(弟)
  • 嫌悪:―
  • 野心:低
  • 主義:中

能力

  • 統率:42
  • 武勇:69
  • 知略:66
  • 政務:43

特性

  • 特徴:射撃系
  • 得意:砲術、交渉、殿軍
  • 苦手:―

人物概要

島津家の家臣。関ヶ原の戦いでは家来と共に追撃してくる井伊直政を狙撃負傷させ、義弘の撤退に大きく貢献。直政はこのときの傷が元で死亡した。

その他情報・逸話

  • 1576年16歳にして小林城(宮崎)の地頭に抜擢される。
  • 1587年豊臣秀吉の九州平定が行われた際は、豊臣秀長軍を迎撃すべく小林城に再び入る。
  • 1592年文禄の役にて久智(弟)と共に戦功を挙げた。
  • 1599年の庄内の乱では病気であったが、鎌田政近の依頼により相談役となり、敵方の伏兵の存在を見抜いて鎌田政近の軍を救った。
  • 1600年関ヶ原の戦いでは、島津義弘の退却を助けるために奮戦し、部下の一人が追撃してきた井伊直政を狙撃し落馬させている。この功績でのちに『小返しの五本鑓』の一人に数えられる。
  • 1600年島津義弘の退却が済んだ後そのまま徳川家康の元へ使者として赴き、島津が西軍に与した正当性を堂々と説明し、家康から「アッパレ軍事に練達の者である」と賞賛された。
  • 1622年の病死まで家老として島津家を支えた。

参考値

紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。

数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。

  • 豊臣秀長:統80.武60.知87.政86
  • 井伊直政:統87.武92.知83.政81

参考資料

川上忠兄(Wikipedia)

その他の島津家おすすめ登録武将

コメント