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◎上野家成(うえの いえなり)

上杉家(長尾家)

詳しい情報は下に記載してます!

本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。

是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!

特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。

◎上野家成(うえの いえなり)

基本情報

  • 生没:1525?~1605?(?)(80歳?)
  • 所在:春日山城
  • 主家:上杉謙信→上杉景勝
  • 親交:本庄実乃
  • 嫌悪:大熊朝秀
  • 野望:中
  • 主義:保守

能力

  • 統率:55
  • 武勇:57
  • 知略:68
  • 政務:69

特性

  • 戦法:回復(支援系)
  • 特性:能弁(交渉系)
  • 苦手:―

人物概要

上杉家家臣。謙信死後の家督争いでは景勝に与して、以後も上杉家の為に忠誠を尽くして務めた。

その他情報・逸話

  • 弘治2年(1556年)、下平吉長と上田を巡る領地争いの最中、重臣本庄実乃が家成に、大熊朝秀が下平に加担する。
  • 長尾景虎は春日山城を出奔した混乱に乗じ大熊らは武田氏と内通し反乱を起こし、会津の蘆名盛氏もこれに呼応した。
  • 大熊は越中一向一揆勢を率いて越中国から越後へ攻め入った。謙信は家成と庄田定賢らを派遣した。家成らは数の上では兵力に勝る大熊を破り、越中に敗走させた。
  • 元亀元年(1570年)に締結された越相同盟では、後北条氏との交渉役を河田重親(河田長親の伯父)
  • らと共に務めた。
  • 天正6年(1578年)、謙信没後の御館の乱の際には上杉景勝側に味方し、沼田城にあって守りを固めた。
  • 慶長3年(1598年)、上杉景勝が豊臣秀吉の命で会津若松に移封された際、多くの将兵が越後を離れ会津に移ったが、家成はそのまま越後に留まった。
  • 慶長6年(1601年)、関ヶ原の戦いにおいて西軍に味方した上杉景勝は旧領越後を併合しようとした。家成も上杉方として扇動に参加したが、西軍が敗れたため上杉氏はこれを諦めた。
  • 戦後、上杉氏は大幅に減封され出羽国米沢に移動された。これに伴い、家成は越後を離れ米沢に移入した。
  • 上杉謙信の死の直後、上野国沼田城の城代であった家成は、領内の寺に謙信の供養塔を建てた。この供養塔は後に移転して、現在も利根郡みなかみ町の如意寺に現存する。

参考値

紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。

数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。

  • 本庄実乃:統40.武46.知70.政71
  • 大熊朝秀:統36.武73.知31.政63
  • 河田長親:統72.武44.知80.政81

参考資料

上野家成(Wikipedia)

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