佐竹家

◎佐竹義種(さたけ よしたね)

佐竹家足軽大将。佐竹義宣の従兄弟として一緒に養育されていた。忠実な家臣で佐竹家が転封となった際には、逸早く赴任地に赴き義宣が来る前に所々の準備をしていたことを賞賛された。
豊臣家

◎熊谷直盛(くまがい なおもり)

豊臣家組頭。秀吉の馬廻衆として初め仕える。その後は主に使者役として活躍したが、秀吉死後は加藤清正らにより改易させられ、石田三成の家臣として仕えた。
豊臣家

◎大崎長行(おおさき ながゆき)

豊臣家組頭。豊臣秀次が自害した後は、福島正則に仕えた。関ヶ原の戦いでは豊臣方の開城宣告を拒否したおかげで関ヶ原の戦いを優位に進められたと家康に賞賛されている。福島家改易後は徳川家に仕えた。
足利家

◎真木島昭光(まきしま あきみつ)

足利家組頭。義昭の側近として織田包囲網のために使者役や密書作成に携わった。室町幕府滅亡後も義昭に従った。義昭死後は豊臣家に従い大坂の陣でも戦い、その後は細川忠興の家臣となった。
東海

◎福富秀勝(ふくずみ ひでかつ)

織田家組頭。信長の馬廻衆を務めほとんどの信長の戦に参戦。長篠の戦いでは鉄砲隊を指揮した。また晩年は政務を担当することが多くなり、荒木村重との戦いでは中川清秀の引抜に成功している。