詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
★長谷川秀一(はせがわ ひでかず)
基本情報
- 生没:1540?~1594(病死)(55歳?)
- 所在:那古屋城(尾張)
- 主家:織田信長→豊臣家
- 親交:長谷川与次(父)
- 嫌悪:―
- 野望:低
- 主義:中道
能力
- 統率:62
- 武勇:60
- 知略:78
- 政務:81
特性
- 戦法:早駆
- 特性:作事(普請系)、一所懸命(内政系)、殿軍、能弁(交渉系)
- 苦手:城攻
人物概要
織田家足軽大将。美青年であり信長から寵愛を受け小姓として仕えた。主に奉行衆として普請業務や内政業務を務め、本能寺の変後は豊臣秀吉に仕え戦での功績も残し、後に豊臣姓を与えられる程重臣として重用されていた。
その他情報・逸話
- 尾張出身
- 織田信長に小姓として仕える
- 信長の男色相手として深く寵愛された
- 1575年、秀一は長島城復旧工事に従事する者らをとりまとめている。
- 天正6年(1578年)、播磨神吉城攻めの際には検分を行った。この頃から秀一は奉行衆としてより重要な役目を与えられていく。
- 天正7年(1579年)堀秀政らと共に安土の建設奉行を務める。
- 天正9年(1581年)、野々村正成と共に領地を大きく加増
- 天正10年(1582年)、武田勝頼側近の秋山昌成らの処刑などの事後処理を行う
- 家康の大坂の堺見物に案内役として秀一は付けられた
- 本能寺の変の際は、大阪から尾張までの通行上の各地の織田家家臣に書状を送り、自身と家康を尾張まで逃がす手配をした。
- 天正11年(1583年)、羽柴秀吉と柴田勝家が対立した際には秀吉を支持し、柴田方に味方する滝川一益領の伊勢国を攻撃。この後城持ちの武将となった。
- 天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いに兵2300を率いて参陣。徳川家からの奇襲を受け撤退した。
- 天正13年(1585年)、数々の戦いで武功を挙げた。
- 天正15年(1587年)、九州征伐にも参陣。この頃には羽柴姓を与えられ、後に豊臣姓も与えられる。
- 天正18年(1590年)、小田原征伐に従軍して山中城攻撃に兵3,000を率いて参加
- 文禄元年(1592年)文禄の役では、兵5000人を率いて朝鮮へと渡る。
- 晋州城の攻略に参加し、敵将を撃破したが、城の攻略には失敗している
- 文禄3年(1594年)、伏見城普請奉行を務めた後亡くなったとされる
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 織田信長 :統99.武88.知95.政100
- 織田信忠 :統83.武79.知72.政73
- 織田秀信 :統32.武39.知36.政51
- 堀秀政 :統87.武83.知86.政84
参考資料
その他の織田家おすすめ登録武将
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