詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
◎鳥居忠吉(とりい ただよし)
基本情報
- 生没:1490?~1572(病死)(82歳?)
- 所在:岡崎城(三河)
- 主家:松平家
- 親交:鳥居元忠(子)、徳川家康、阿部定吉
- 嫌悪:―
- 野望:中
- 主義:保守
能力
- 統率:41
- 武勇:24
- 知略:69
- 政務:72
特性
- 戦法:支援系
- 特性:自衛(防衛系)、一所懸命(内政系)、数寄者
- 苦手:―
人物概要
松平家譜代家臣。家康が岡崎に戻るまで資金を蓄え家康の三河統一を支えた忠義者として三河武士の手本となった。
その他情報・逸話
- 鳥居忠明の子として誕生。生年は不明だが、死去した時に80余歳と伝えられている
- 三河国の戦国大名・松平清康に仕えた。
- 家康が今川家の人質時代、岡崎の治世は今川氏から派遣された城代による統治よりも、忠吉と阿部定吉らとの実務によって成り立っていた。
- 収穫などの富は今川氏への分配が多く、松平党は日々の暮らしにも困窮する。そんな僅かにされた収穫であっても、家康が帰参するであろう将来に備えて倹約・蓄財に心血を注いだ事で知られる。その忠誠心は後世まで「三河武士」として名声を高め三河武士の元祖となる。
- 永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いでは家康に従軍し、今川義元の戦死後、岡崎城に入った家康に、今まで蓄えていた財を見せ、「苦しい中、よくこれだけの蓄えを」と家康に感謝された
- その後は高齢を理由に岡崎城の留守を守った。
- 忠吉が忠義の老臣であることは朝廷にも知られており朝廷から家康への書面にも記されている。
- 元亀3年(1572年)に死去。
- 苦難の時代に異常なほど財を蓄えていたのは忠吉が「ワタリ(渡り)」(各地へ物品を買い求め売り捌く商工業者)だったためではないかと推測する説もある。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 鳥居元忠:統62.武69.知72.政24
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