詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
★松下之綱(まつした ゆきつな)
基本情報
- 生没:1537~1598(病死)(62歳)
- 所在:駿府城→浜松城→長浜城(1574~)→駿府城
- 主家:今川義元→氏真→徳川家康→豊臣秀吉(1574~)
- 親交:豊臣秀吉、柳生宗矩(義子)
- 嫌悪:―
- 野望:低~中
- 主義:中道
能力
- 統率:43
- 武勇:69
- 知略:38
- 政務:49
特性
- 戦法:底力
- 特性:攻勢(攻撃系)、槍術
- 苦手:―
人物概要
今川家侍大将。織田信長以外で唯一豊臣秀吉を家臣に持った戦国武将。秀吉からもかつて取り立ててもらった際の感謝を書状に残している。
その他情報・逸話
- 天文6年(1537年)、兵法者で槍術の達人の子として、三河に生まれた。
- 城主として駿河国の今川義元に仕えた。
- この頃、木下藤吉郎と名乗る以前の豊臣秀吉が仕えていた
- 今川氏が滅亡すると、徳川家康に仕える
- 天正2年(1574年)、籠城して武田氏と戦うも降伏
- その後長浜城主になっていた秀吉によって、之綱は家臣として召し出された
- 天正3年(1575年)の長篠の戦いの際には秀吉の前備として兵100を預けられた
- 天正10年(1582年)の本能寺の変から天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いを経て、同年丹波国・河内国・伊勢国などに秀吉から3,000石の所領を与えられた。
- 天正15年(1587年)、秀吉の九州遠征にも前備の直属部隊として兵150を率いて従軍。
- このときの秀吉の書状で松下之綱には過去の恩があるため格別の計らいをするようにと指示を出している。
- 同年、丹波3,000石を加増され6,000石となった
- 天正18年(1590年)、遠江で1万石追加され、1万6,000石の城付きの所領を秀吉から与えられた。
- 慶長3年(1598年)2月晦日に死去。享年62。家督は次男が継いだ
- 娘は柳生宗矩に嫁いだ。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 豊臣秀吉:統96.武81.知98.政97
- 飯尾連龍:統46.武48.知46.政45
- 柳生宗矩:統49.武87.知83.政68
参考資料
その他の今川家おすすめ登録武将
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コメント
覇王伝にのみ出てた気がする