詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
★本多広孝(ほんだ ひろたか)
基本情報
- 生没:1528~1597 (69歳)
- 所在:岡崎城→浜松城
- 主家:徳川家
- 親交:本多康重(子)、
- 嫌悪:―
- 野望:低
- 主義:中道
能力
- 統率:71
- 武勇:75
- 知略:68
- 政務:44
特性
- 戦法:用心(防衛系)
- 特性:捕縛、攻城、殿軍、引抜
- 苦手:―
人物概要
徳川家家臣。酒井忠次に並ぶ重臣として松平家を支えてきた。各地の戦でも武功を挙げる活躍もあった。
その他情報・逸話
- 大永8年(1528年)、三河国において領主・本多信重の嫡子として誕生。
- 享禄2年(1529年)、父・信重は主君・松平清康の東三河遠征に従軍し御油縄手の戦いに23歳にして戦死
- 天文18年(1549年)、織田氏に拘束されていた徳川家康を奪還するために、織田方の安祥城を今川軍の先鋒衆の最前で戦って奪い返し城将・織田信広を捕らえた。
- その後も松平氏の先鋒を率いて織田氏との数多の戦に功績を積む
- 永禄4年(1561年)吉良氏との戦いには劣勢となり多くの死傷者を出した松平勢を支えて奮戦、敵の家老を討ち取り形勢を逆転、降伏に追い込み一躍勇名を馳せた。
- 永禄6年(1563年)の三河一向一揆の争乱では広孝は嫡子・康重を忠節の証として家康に差し出し、自らは土居の城館を拠点に土呂・針崎の一向宗に抗戦
- 永禄7年(1564年)夏には家康の東三河進攻に従い、田原城を落とし城主となる(吉田城を与えられた酒井忠次と並び、徳川家譜代家臣の城持ち衆として先駆け的存在)
- 元亀3年(1572年)武田信玄との三方ヶ原の戦いでは浜松城より取って返し、武田軍の追撃を防いで味方の敗走を助ける。
- 同4年(1573年)武田氏に属していた東三河の奥平貞能・貞昌父子に徳川氏への帰属を呼びかけ保護する。
- 天正3年(1575年)には、長篠の戦いに参戦。本隊とは別働で、武田信実らが守備する砦を酒井忠次達と共に攻めて、徳川方勝利に貢献した。
- 天正10年(1582年)、広孝・康重父子は大久保忠世と共に甲州征伐に参加。
- 天正12年(1584年)、長久手の合戦に広孝は小幡城(名古屋市)を守備。
- 慶長元年(1597年)死去。享年70。
- 田原城主時代の兵力推定:500名前後
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 本多康重 :統66.武62.知58.政47(戦法:早駆、特性:一所懸命)
- 大久保忠世:統77.武77.知67.政38
- 織田信広 :統62.武59.知46.政47
- 武田信玄 :統100.武89.知96.政95
- 武田信実 :統15.武38.知30.政43
- 奥平貞能 :統50.武45.知52.政44
- 奥平信昌 :統78.武73.知73.政41
- 酒井忠次 :統86.武75.知86.政60
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