詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
★大須賀康高(おおすが やすたか)
基本情報
- 生没:1527~1589(病死)(63歳)
- 所在:岡崎城(三河)
- 主家:徳川家
- 親交:大須賀忠政(養子)、榊原康政(婿)、阿部忠吉(婿)
- 嫌悪:―
- 野望:低
- 主義:保守
能力
- 統率:66
- 武勇:76
- 知略:61
- 政務:39
特性
- 戦法:用心
- 特性:城乗(城攻め系)、自衛(防衛系)
- 苦手:―
人物概要
徳川家足軽大将。榊原康政と共に徳川家康に仕え、主に武田家の抑えとして戦で活躍した。部下には横須賀七人衆という武勇に優れた武将を抱えており、岡部元信を打ち破り城を奪う活躍をした。
その他情報・逸話
- 大永7年(1527年)、三河に生まれる。
- 天正元年(1573年)、遠州の城を武田軍の侵攻から守りきる。
- 天正2年(1574年)、籠城戦では、城将の小笠原信興らと共に籠城するも、援軍が期待できずに小笠原は開城降伏した。小笠原信興は武田家臣となるが、大須賀は徳川に帰参した。
- その後家康から武田軍の抑えとして最前線の城を与えられる。このとき渥美勝吉などの横須賀七人衆を与力として部下にもつ。
- 天正9年(1581年)、城将の岡部元信と戦い小笠原信興の城を落城させた。
- 天正10年(1582年)、康高は戦いの手柄を認められて家康から松平の名字を与えられた
- 天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いにも先鋒として参加し、羽柴軍を追い詰めたが、堀秀政の反撃を受けて敗れた。
- 天正17年(1589年)、領内の寺に参詣した際、急に発病し死去。享年63。
- 跡継ぎは、榊原康政の子を養子として継がせた。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 徳川家康 :統99.武87.知90.政98
- 榊原康政 :統85.武82.知84.政67
- 大須賀忠政:統62.武51.知57.政77
- 武田勝頼 :統86.武88.知71.政56
- 堀秀政 :統87.武83.知86.政84
- 岡部元信 :統76.武78.知83.政43
参考資料
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