詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
★上条政繁(じょうじょう まさしげ)
基本情報
- 生没:1553~1643(病死)(91歳)
- 所在:春日山城
- 主家:上杉謙信→景勝→豊臣秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠
- 親交:上杉定実(父)、上条定憲(養父)、新発田重家
- 嫌悪:須田満親
- 野望:中
- 主義:中道
能力
- 統率:68
- 武勇:59
- 知略:48
- 政務:61
特性
- 戦法:急襲
- 特性:―
- 苦手:―
人物概要
上杉家家臣。上杉家における各地の戦に参戦するが、景勝の時代に所領でもめて、豊臣家に寝返った。
その他情報・逸話
- 謙信に仕えて上野国や越中に転戦。
- 天正3年(1575年)96人の軍役を負担し、上杉家一門の第四位に列した。
- 天正5年(1577年)能登国守護・畠山氏の七尾城を攻めた際には、謙信の命で畠山義続の遺児(後の義春)を養嗣子とした。
- 謙信の死後、御館の乱では上杉景勝に味方して、戦後もそのまま景勝に従い、重臣として遇された。
- 天正9年(1581年)越中松倉城城主に。
- 天正12年(1584年)、海津城主になるが、翌天正13年(1585年)に須田満親に代わられたため、景勝と対立するようになり、天正14年(1586年)上杉家を出奔して秀吉の家臣に。
- 文禄・慶長の役では肥前国の名護屋城に在陣
- 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に属した
- 慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、徳川方との内通を疑われた片桐且元の大坂城退去に伴って退城
- 翌慶長20年(1615年)、大坂夏の陣では徳川方に属した。
- 戦後は江戸幕府に仕える。寛永20年(1643年)死去。
- 後に上杉氏とは和解し、義春の次男の長員が旗本として高家となり、同じく旗本となった宅間上杉家や深谷上杉家よりも高禄であった。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 上杉定実 :統54.武41.知57.政71
- 上条定憲 :統32.武34.知57.政35
- 新発田重家:統71.武76.知82.政47
- 須田満親 :統55.武49.知78.政69
- 片桐且元 :統46.武69.知46.政60
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