詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
◎畠山義春(はたけやま よしはる)
基本情報
- 生没:1563~1643(病死)(81歳)
- 所在:春日山城
- 主家:上杉謙信→景勝→豊臣秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠
- 親交:上条政繁(養父)、畠山義続(父)、新発田重家
- 嫌悪:上杉景勝
- 野望:中
- 主義:保守
能力
- 統率:49
- 武勇:42
- 知略:40
- 政務:51
特性
- 戦法:罵声(妨害系)
- 特性:―
- 苦手:―
人物概要
畠山家が上杉家に滅ぼされると、上杉家の養子として保護された。後に景勝と対立し豊臣家、徳川家と時代にあわせて養父の上条政繁とともに主君を変えた。
その他情報・逸話
- 天正5年(1577年)に七尾城が上杉謙信に落とされると、上杉一門である上条政繁の養子となった
- 成人後は越中国・能登国前線に配置され、後に養父に従って信濃国海津城に入城
- 天正14年(1586年)、政繁が上杉家を出奔し、のちに義春自身も天正16年(1588年)頃に出奔し豊臣家の家臣となる。
- 出奔の理由については、景勝と信濃統治などをめぐる対立と上杉氏に叛旗を翻していた新発田重家と養父政繁が親しい仲にあった事が原因。
- 文禄・慶長の役では肥前国の名護屋城に在陣している。翌年、700石を加増され、父の遺領を合わせて1500石を知行した。
- 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に属した
- その後は大坂城の豊臣秀頼に仕えた
- 慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、徳川方との内通を疑われた片桐且元の大坂城退去に伴って退城
- 慶長20年(1615年)、大坂夏の陣では徳川方に属した。
- 寛永20年(1643年)、京において死去した。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 片桐且元 :統46.武69.知46.政60
- 新発田重家:統71.武76.知82.政47
- 畠山義続 :統50.武47.知44.政58
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