詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
★戸田忠次(とだ ただつぐ)
基本情報
- 生没:1531~1597(病死)(67歳)
- 所在:岡崎城(三河)
- 主家:徳川家
- 親交:戸田尊次(子)
- 嫌悪:―
- 野望:低~中
- 主義:保守
能力
- 統率:53
- 武勇:63
- 知略:38
- 政務:28
特性
- 戦法:同討
- 特性:-
- 苦手:-
人物概要
徳川家組頭。徳川家と一向一揆側との戦いでは、一向宗側につくも途中で寝返り一揆の鎮圧に貢献した。伯父は家康を織田家に売り飛ばしている。
その他情報・逸話
- 享禄4年(1531年)三河で誕生
- 伯父の戸田康光は今川義元を裏切り、徳川家康を織田信秀に売り飛ばした。
- 永禄6年(1563年)、一向衆徒が徳川家に対して一揆を起こすと、忠次もこれに応じた。
- しかし、徳川家と親戚関係にあったため、一向宗側に疑われ、最終的に徳川方に寝返り一揆鎮圧に貢献した。
- その後も永禄11年(1568年)遠州侵攻、翌年掛川城攻め、元亀3年(1573年)三方ヶ原の戦い、駿河国田中城攻め、天正12年(1584年)小牧・長久手の戦い、天正18年(1590年)の小田原征伐などで功績を挙げた。
- 文禄・慶長の役には、忠次は老齢の身ながら肥前国名護屋城にいた家康に謁して、もし徳川軍の出陣があれば従軍することを請うたという。秀吉はこれを聞き「壮者の亀鑑」と称賛したという。
- 慶長2年(1597年)、極老の衰病からもはや奉公に適う身でないと知り、病を押して江戸に出府し、家康に謁した後に死去した。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 徳川家康 :統99.武87.知90.政98
- 戸田尊次 :統43.武56.知33.政35
参考資料
その他の徳川家おすすめ登録武将
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