詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
○吉良義昭(きら よしあき)
基本情報
- 生没:1537?~1612?(病死?)(75歳?)
- 所在:駿府城→浪人(1570?~)
- 主家:今川義元→徳川家康→浪人
- 親交:吉良義安(兄)、吉良義堯(父)
- 嫌悪:徳川家康
- 野望:中
- 主義:保守
能力
- 統率:48
- 武勇:49
- 知略:37
- 政務:42
特性
- 戦法:急襲
- 特性:―
- 苦手:戦
人物概要
今川家家臣。兄義安は織田家と通じていたため、吉良家の跡継ぎとして今川家に仕えたが、今川家衰退後は家康と戦うも敗れた、兄は徳川家家臣として幕臣にまでなった。
その他情報・逸話
- 三河吉良氏当主・吉良義堯の三男として誕生
- 兄の急死もあり吉良氏の家督はこの義昭が相続することになった
- 天文18年(1549年)、今川義元が織田氏家臣の安祥城主・織田信広を攻めた際に、兄・義安は織田氏に協力したため、今川軍に捕らえられて駿府へ送られたが、義昭は今川軍に協力したため、義元より兄・義安の領土も一緒に受け継ぐよう命じられた。
- 永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いにおいて今川義元が討たれると、三河における今川氏の支配力が減退し、義昭は後援を失った形となった。
- 徳川家康は今川氏から独立し、吉良氏をしばしば攻めるようになった。度重なる戦の末、ついに永禄4年(1561年)には松平氏への降伏を余儀なくされ、その後は岡崎へ移住させられていた。
- 永禄6年(1563年)、西三河に三河一向一揆が勃発。これを再起反攻の機ととらえると三河一向宗と同盟を結び、再び家康との決戦に臨んだが敗退した。。
- その後は近江へ逃れ、最後は摂津で死去したと言われる。
- 後に兄の義安が家督を相続し、吉良氏は存続し、後の赤穂浪士による赤穂事件の一人吉良義央(上野介)を出した。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 徳川家康:統99.武87.知90.政98
- 吉良義安:統46.武47.知45.政50
- 吉良義堯:統34.武34.知48.政37
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