詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
★内藤家長(ないとう いえなが)
基本情報
- 生没:1546~1600(討死)(55歳)
- 所在:岡崎城(三河)
- 主家:徳川家
- 親交:内藤清長(父)、内藤信成(兄)
- 嫌悪:―
- 野望:低
- 主義:中道
能力
- 統率:55
- 武勇:72
- 知略:48
- 政務:28
特性
- 戦法:急襲
- 特性:弓術、砲術、射手、竜騎兵
- 苦手:-
人物概要
徳川家組頭。父と同様に弓の名手で武勇に優れていた。三河一向一揆では父が一向宗側に付くが、家長本人は家康への忠誠を尽くした。関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いで討死した。
その他情報・逸話
- 内藤氏は家長の祖父の代から徳川氏に仕えた譜代の家臣の家柄
- 父・内藤清長が晩年になって儲けた子の家長は徳川家康に仕える
- 兄の内藤信成から内藤家の家督を譲られて跡を継いだ
- 父の清長と同様に武勇に優れ、また弓の名手で「無双の弓手」であり、騎射の達人であった。
- 父同様に一向宗の門徒であったが、三河一向一揆の時に家長は父と訣別して一揆方に加わらず、家康に従軍し、一揆衆を鎮圧するなどで忠節を貫き、家康から信頼された。
- 以降数々の戦いに従軍し、活躍。小田原城攻めの際には、豊臣秀吉より「その容貌、将帥の器に当たれり」と称賛され、鉄砲30梃を賜った。
- 天正18年(1590年)、知行2万石の城主となった
- 慶長5年(1600年)、息子、鳥居元忠や松平家忠らと共に伏見城を守備して石田三成ら西軍の挙兵を誘った
- 三成ら西軍は挙兵したが、家長は、鳥居元忠らと共に伏見城攻防戦で戦死した。
- 享年55。家督は長男が継ぎ、戦死した父の功績を賞されて1万石を加増されている。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 徳川家康 :統99.武87.知90.政98
- 内藤信成 :統70.武56.知53.政43
- 鳥居元忠 :統62.武69.知72.政24
参考資料
その他の徳川家おすすめ登録武将
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