詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
◎中条景泰(なかじょう かげやす)
基本情報
- 生没:1558~1582(自刃)(25歳)
- 所在:春日山城
- 主家:上杉謙信→上杉景勝
- 親交:中条藤資(義祖父)、上杉謙信
- 嫌悪:―
- 野望:低
- 主義:保守
能力
- 統率:59
- 武勇:73
- 知略:58
- 政務:31
特性
- 戦法:用心(防衛系)
- 特性:血気(攻撃系)、自衛(防衛系)
- 苦手:―
人物概要
上杉謙信の側近。側近として重用されるも血気盛んな性格があり、謙信にとがめられる事もあったほど。
その他情報・逸話
- 永禄元年(1558年)、越後国の戦国大名・長尾氏の旗本・吉江景資の次男として誕生。
- 幼時より上杉謙信に仕えた。
- 天正元年(1573年)、一向一揆の篭る加越国境の城攻めの際、血気盛んな14歳の景泰は、謙信の制止を無視して敵の鉄砲隊の前に駆け出して蜂の巣にされそうになり、慌てた謙信は家臣に命じて連れ戻させた。
- 謙信は景泰をひとまず監禁し、両親の下に送り返されることになった。
- この戦いでは、実際に銃撃による死傷者があり、その対処は適切であったといえる。以上の顛末を両親に説明して理解を求めた謙信の書状が残っている。
- 天正2年(1574年)中条藤資の孫娘・俊子を娶って中条氏の家督を相続し、以後中条景泰と名乗った。
- 天正3年(1575年)の「上杉家軍役帳」によると140人の軍役を課せられており、席次は国衆筆頭となっている。
- 天正6年(1578年)の謙信急死後、勃発した家督争い・御館の乱で景勝方に付き、引き続き側近として活動を続けた。
- 上杉景虎は自刃に及び、大勢が決した後も抵抗を続けていた本庄氏の籠もる栃尾城を攻め落とし、天正8年(1580年)に乱は終結した。これらの功により戦後、景泰は秀綱の遺領などから加増を受けている。
- 河田長親の死後、越中戦線に送られ、実父・景資らと織田氏の攻勢を防いだが、天正10年(1582年)、魚津城落城の時に自害した。本能寺の変の翌日のことである。
- 「魚津在城衆十二名連署状」では一番前に署名している。享年25。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 中条藤資:統65.武76.知64.政49
- 上杉景虎:統78.武51.知72.政74
- 上杉景勝:統80.武77.知79.政79
コメント