詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
◎久世 広宣(くぜ ひろのぶ)
基本情報
能力
- 統率:61
- 武勇:66
- 知略:18
- 政務:26
特性
- 戦法:激励(攻撃系)
- 特性:攻勢(攻撃系)
- 苦手:―
人物概要
徳川家家臣。武勇に優れ「横須賀衆」の一人として各地の戦で功を挙げた。
その他情報・逸話
- 父・長宣は三河一向一揆で宗門側につき、徳川家康に敵対して討死
- 16歳の折り、家康に父の罪を赦されて仕え、遠江の対武田勢最前線の一人としてとの戦いに武勇を発揮
- 渥美勝吉、坂部広勝らとともに「横須賀衆」「横須賀七人衆」と呼ばれ、武田勢との戦いを続けた。
- 天正6年(1578年)一番槍の働きがあった
- 天正8年(1580年)城将の岡部元信が徳川勢の包囲陣に切り込んだ際、この激戦に参加し、広宣は打ち合う剣の火花で敵味方の顔を区別した、と伝わる。
- 横須賀衆は天正壬午の乱、小牧・長久手の戦い、小田原征伐など、数々の戦に従軍
- 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで広宣は坂部広勝らと共に本隊の後備えを務めた
- 天正17年(1589年)大須賀康高の死後は後継の大須賀忠政に属した。
- 慶長10年(1605年)頃に大須賀氏の与力を離れ、多摩に蟄居
- 大坂の陣に将軍・徳川秀忠の先陣として従軍
- 元和5年(1619年)に福島正則が改易となった時、秀忠は争乱を危惧し、広宣と坂部広勝を緊急に江戸に帰し、会津藩・館林藩・磐城平藩・山形藩兵の指揮権を与えた
- 寛永3年(1626年)、死去。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 大須賀忠政:統62.武51.知57.政77
- 徳川秀忠 :統38.武35.知70.政85
- 岡部元信 :統76.武78.知83.政43
コメント