詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
◎木脇祐秀(きわき すけひで)
基本情報
- 生没:1577~1619(切腹)(43歳)
- 所在:内城(薩摩)
- 主家:島津家
- 親交:島津義弘
- 嫌悪:-
- 野望:低~中
- 主義:中道
能力
- 統率:33
- 武勇:79
- 知略:28
- 政務:22
特性
- 戦法:底力
- 特性:攻勢(攻撃系)、殿軍、海神(水軍系)
- 苦手:-
人物概要
島津家組頭。身長2m超の大男で長刀を振り回す姿から「今弁慶」と呼ばれた豪傑。慶長の役でも海上で敵をなぎ倒したり、関ヶ原の戦いでは島津義弘の撤退を助けるために多くの敵をなぎ倒したりした。
その他情報・逸話
- 身長2m強の大男で、長刀を振り回したことから「今弁慶」と異名された。
- 主君・島津義弘に従い文禄・慶長の役に従軍。
- 慶長3年(1598年)、海戦の際に、祐秀は敵の番船から番船に飛び移って敵を斬りまくった。
- 朝鮮での海戦で負傷した際に義弘が自ら傷口に薬を塗ってくれたことに感激し、絶対的な忠誠を誓った
- 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにおける退却戦では、後醍院宗重と共に殿軍を務めた。途中義弘を密かに射殺そうとしている敵を察知して、弓を奪い取って生け捕りにした。
- 関ヶ原の戦いで「島津の今弁慶なり」と名乗り上げて長刀を振りかざし、義弘が「一騎当千の働きぶり」と称賛している。退却時も敵の追撃を退けている。
- 元和5年(1619年)、義弘が死去すると殉死禁止令下にもかかわらず、同年に他の12名の者と共に殉死した。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 島津貴久:統81.武62.知80.政84
- 島津義久:統82.武71.知86.政84
- 島津義弘:統95.武93.知84.政80
参考資料
その他の島津家おすすめ登録武将
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