詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
◎藤掛永勝(ふじかけ ながかつ)
基本情報
- 生没:1557~1617(病死)(61歳)
- 所在:那古屋城(尾張)→秀吉領(長浜城・姫路城・大阪城)
- 主家:織田信長→豊臣秀吉→徳川家康
- 親交:細川藤孝
- 嫌悪:―
- 野望:低
- 主義:中道
能力
- 統率:38
- 武勇:49
- 知略:28
- 政務:32
特性
- 戦法:足止
- 特性:―
- 苦手:―
人物概要
織田家組頭。若い頃より信長に仕え、信長死後は豊臣秀吉に仕える。小牧長久手の戦いや小田原攻め等に従軍し、文禄の役では武功も挙げている。
その他情報・逸話
- 弘治3年(1557年)、織田氏の末流として誕生。
- 父も織田信長の家臣で、永禄10年(1567年)、永勝も11歳の頃から信長に仕えた
- 天正7年(1579年)、信長の四男・秀勝が羽柴家の継嗣として羽柴秀吉に養子入りすると、信長の命によってその輔佐に任じられる
- 信長の死後、秀勝が丹波一国の国主に封ぜられると、6,000石を与えられた
- 天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いにも秀勝と共に従軍
- 天正13年(1585年)、秀勝の病死に伴い、秀吉に直臣として召し抱えられた
- 天正18年(1590年)の小田原の役に従軍した際には三河守に叙任された
- 文禄元年(1592年)、文禄の役に従軍し、2百人を率いて渡海し、武功を挙げた。
- 関ヶ原の戦いでは西軍に与して、大坂城を服部正栄と共に警備した後、丹後攻めに参加したが、細川幽斎と親しく、攻撃は形だけであった
- 元和3年(1617年)、京都にて死去した。享年61。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 織田信長 :統99.武88.知95.政100
- 織田信忠 :統83.武79.知72.政73
- 織田信秀 :統86.武71.知87.政90
- 豊臣秀吉 :統96.武81.知98.政97
- 細川藤孝 :統77.武78.知88.政92
参考資料
その他の織田家おすすめ登録武将
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