詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
◎本多忠真(ほんだ ただざね)
基本情報
- 生没:1531~1573(討死)(43歳)
- 所在:岡崎城(三河)
- 主家:徳川家
- 親交:本多忠勝(甥)、本多忠高(兄)
- 嫌悪:―
- 野望:低
- 主義:中道
能力
- 統率:62
- 武勇:71
- 知略:45
- 政務:43
特性
- 戦法:激励(攻撃強化系)
- 特性:攻勢(攻撃強化系)、殿軍(防衛系)、槍術
- 苦手:―
人物概要
徳川家足軽大将。槍の名手で、本多忠勝の叔父にもあたる。忠勝の父が討死後に、忠勝に武芸と読み書きを教え育て続けた。三方ヶ原の戦いで家康を逃がすために殿軍を務め討死した。
その他情報・逸話
- 槍の名手として知られており、本多忠勝は甥にあたる。
- 天文14年(1545年)の三河国安祥城攻めにおいて父と兄・忠高が討死すると、その子である本多忠勝を保護し、読み書きから武士としての心得などを教育した。
- 永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで、初陣の忠勝を補佐。
- この際、忠勝が織田方の武将に討ち獲られそうになったときに、槍を投げつけて窮地を救っている。
- その後も忠勝の補佐的な役割として、数々の合戦に従軍した。
- 永禄4年(1561年)、水野信元との合戦で戦功を立て、
- 永禄6年(1563年)、三河一向一揆の際には家康方として岡崎城に赴いた。
- 元亀3年(1572年)、三方ヶ原の戦いで、退却の際に自ら殿(しんがり)を買って出て、旗指物を左右に突き刺し、「ここから後へは一歩も退かぬ」といって、追走する武田軍に斬り込み、討死した。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 徳川家康 :統99.武87.知90.政98
- 松平広忠 :統69.武57.知56.政78
- 本多忠勝 :統85.武98.知79.政60
- 本多忠高 :統70.武69.知48.政73
- 水野信元 :統57.武51.知61.政61
参考資料
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