詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
◎木村重茲(きむら しげこれ)
基本情報
- 生没:1550?~1595(切腹)(46歳?)
- 所在:大阪城
- 主家:豊臣家
- 親交:木村重成(子)
- 嫌悪:―
- 野望:低~中
- 主義:中道
能力
- 統率:66
- 武勇:68
- 知略:61
- 政務:67
特性
- 戦法:底力
- 特性:数寄者、一所懸命(内政系)
- 苦手:―
人物概要
豊臣家侍大将。数々の戦で功績があり、城持ちの大名にまでなったが、豊臣秀次を擁護したため、秀吉に自害を命じられた。
その他情報・逸話
- 千利休の弟子で、台子七人衆の1人。
- 天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)方として参戦し、砦の守将を務めた。
- 天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いにも参加し、その功績により天正13年(1585年)、秀吉より越前国に12万石を与えられた。
- 天正15年(1587年)、九州征伐に参戦
- 天正18年(1590年)、小田原征伐で豊臣軍の先鋒を務め、岩槻城攻略で武功を挙げた。
- 出羽国の検地を担当
- 一揆征伐においては豊臣秀次に従って武功を挙げた
- 豊臣秀次の家老となる
- 文禄元年(1592年)の文禄の役では3,500の兵を率いて朝鮮に渡海
- 武功を秀吉より賞されて、山城国淀18万石に加増移封
- 文禄4年(1595年)、秀次事件で秀次を弁護したことから、秀吉より自害を命じられた。
- 子の木村重成は、幼年のために罪に問われることなく、豊臣秀頼の家臣として仕え、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で戦死した。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 豊臣秀吉:統96.武81.知98.政97
- 木村重成:統56.武67.知61.政37
- 千利休 :統56.武39.知71.政87
参考資料
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