詳しい情報は下に記載してます!
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。
是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!
特性や特徴は「謀略“系”」など“○○系”という表記をしていますので、作成の際は武将の情報や逸話を元にご自身で付けたい特性を選んでいただけたらと思います。
◎木俣守勝(きまた もりかつ)
基本情報
- 生没:1555~1610(病死)(56歳)
- 所在:岡崎城(三河)→坂本城→岡崎城→箕輪城→彦根城
- 主家:徳川家→明智光秀→徳川家康→井伊直政
- 親交:-
- 嫌悪:-
- 野望:低
- 主義:中道
能力
- 統率:55
- 武勇:56
- 知略:68
- 政務:71
特性
- 戦法:治療
- 特性:作事(築城系)、能吏(街道建設系・行軍系)、人脈(登用系)
- 苦手:-
人物概要
徳川家足軽大将。幼い頃より徳川家康につかえ、家康の伊賀越えの際は道案内をして貢献した。その後井伊直政の家臣となり、彦根城の建設を担うなど内政面で活躍した。
その他情報・逸話
- 楠木正成の子孫
- 弘治元年(1555年)、三河国岡崎にて誕生。
- 天文年間(1532 – 1555年)、父の代に三河に移住して徳川家康に仕えた。
- 幼い時から徳川家康に仕え、元亀元年(1570年)に元服し守勝と名乗った。
- 家族とのいさかいから出奔して明智光秀に仕える
- 戦功により50石を与えられて織田信長にも拝謁を許された。
- 後に徳川家に復帰。
- 天正10年(1582年)、伊賀越えでは、守勝が案内し家康の三河国帰国を助けた。
- その後、滅亡した武田氏旧臣の招聘を命じられ、成瀬正一らの案内で甲斐国に入り、一条信龍・山県昌景・土屋昌恒らに属していた旧臣を招聘することに成功。
- 家康は彼らを井伊直政の傘下に組み入れて「甲州同心衆」として再編し、守勝にはその統率を命じた。
- これが縁で直政の寄騎になる
- 天正18年(1590年)、直政が上野国箕輪に入ると、守勝は3000石を与えられ、井伊家の家臣として転属された。
- 井伊家家臣団の中でも守勝は筆頭であった
- 慶長7年(1602年)、井伊直政が亡くなるとその子の補佐役と彦根城の築城を任せられた。
- 慶長15年(1610年)、守勝が病に倒れると、家康から薬を贈られるなど懸命な治療が行われたものの、静養先の京都で死去。
参考値
紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。
数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。
- 徳川家康 :統99.武87.知90.政98
- 井伊直政 :統87.武74.知69.政71
参考資料
その他の徳川家おすすめ登録武将
本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成するのにおすすめの戦国武将を紹介しています。ぜひこのサイトで紹介している登録武将を信長の野望で作成してからゲームをプレイしてみてください!
コメント