Google

◎摂津 晴門(せっつ はるかど)※卒業

足利家

詳しい情報は下に記載してます!

本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成・登場させるのにおすすめの戦国武将を紹介しています。

是非本サイトで紹介している登録武将を作成して『信長の野望』シリーズのゲームをより楽しんでもらえたら嬉しいです!

※摂津晴門は新生PKから採用され卒業しました。ちなみに新生PKでの能力値は以下のとおり赤字で比較してます。

能力のバランスが同じで思ってたより近い能力を設定していたので個人的には嬉しい卒業でした。

◎摂津 晴門(せっつ はるかど)

基本情報

  • 生没:1500?~1580?(1509~1573)
  • 所在:二条城
  • 主家: 足利家
  • 親交:足利義輝(義甥)
  • 嫌悪:伊勢貞孝
  • 野心:低~中
  • 主義:保守(保守)

能力

  • 統率:18(39)
  • 武勇:8(28)
  • 知略:68(69)
  • 政務:75(82)

特徴

  • 戦法:回復系(罵声(妨害系))
  • 特徴:内政、文官、交渉役(策謀)
  • 苦手:―

人物概要

足利家重臣。同じ家臣の伊勢氏とは対立し、伊勢氏が衰退した後は幕府の内政を担うこととなる。

その他情報・逸話

足利義晴、義輝、義昭に仕える側近的役割を行っており、足利義晴からは“晴”の字をもらうなど重用されており、1528年には従五位下 中務大輔に任ぜられる。

1562年父が死去すると、室町幕府の内政面の複数の職を引き継いだ。

1564年に敵対していた伊勢氏に変わり、義輝と親交が深く内政面の各職を歴任していたことから、室町幕府の内政の重役に任命される。

1565年永禄の変で義輝及び息子が討死し、尚且つ三好家が次期将軍に足利義栄を推したことに反発し京都を離れ、足利義昭の擁立に尽力する。

1568年足利義昭が将軍となると再び内政面の重役となるが、後に左遷され代わりに伊勢貞興と織田信長が勤めた。晴門はその後幕府と朝廷との使者交渉役となった

参考値

紹介した登録武将と関係があったとされる武将のゲーム上での数値を紹介しておきます。

数値は『信長の野望 新生』での数値を記載してます。なので『信長の野望 新生』で登場していない武将は対象としてません。

  • 足利義晴:統60.武39.知58.政66
  • 足利義輝:統74.武85.知66.政57
  • 足利義明:統28.武37.知78.政68

参考資料

摂津晴門(Wikipedia)

その他の足利家おすすめ登録武将

本サイトではゲーム『信長の野望』シリーズで登録武将(新武将)として作成するのにおすすめの戦国武将を紹介しています。ぜひこのサイトで紹

コメント